【酒井くにお・とおる(松竹芸能に移籍)】芸名の由来
酒井くにお・とおるの芸名は、元大阪市長の平松邦夫と市長選で平松を下した橋下徹元市長(前大阪府知事)の二人が、くにお・とおると同音の名前であることから『大阪政界のくにお・とおる』と言われていたことから命名されたようです1。
【酒井くにお・とおる(松竹芸能に移籍)】芸人になったきっかけは?
酒井くにお・とおるの芸人になったきっかけは、浅草松竹演芸場で見た社会派コント「コント・コンビネーション」の風刺劇に魅せられ、リーダーのみなみ良雄(後のさがみ良太)に弟子入りしたことから始まります2。その後、偶然の再会をきっかけに弟のとおるとコンビを結成し、1970年に「コント・コマーシャル」としてデビューしました2。
【酒井くにお・とおる(松竹芸能に移籍)】最近の出演情報は?
酒井くにお・とおるの最近の出演情報としては、「漫才マン2022」3や「漫才マン the プラチナ」3などのテレビ番組に出演しています。また、NHKの番組「バラエティー生活笑百科」にも出演していました4。
酒井くにお・とおる(松竹芸能に移籍)の年齢とプロフィール
酒井くにお(本名:酒井国夫)は、1948年5月3日生まれで、2022年10月28日に74歳で亡くなりました21。一方、酒井とおる(本名:及川幹男)は、1951年5月12日生まれで、現在73歳です25。二人とも岩手県水沢市(現奥州市)出身です2。
【酒井くにお・とおる(松竹芸能に移籍)】の芸歴
酒井くにお・とおるは、1970年にさがみ三太・良太に入門し、コントを始めました2。その後、1972年に大阪に移り、漫才に転向しました6。彼らは、1997年に上方漫才大賞の大賞を受賞しました4。また、2020年には、心斎橋角座で芸歴50周年記念公演を行いました7。
【酒井くにお・とおる(松竹芸能に移籍)】と同期の芸人
酒井くにお・とおるは、海原はるか・かなたとほぼ同期でした8。
【酒井くにお・とおる(松竹芸能に移籍)】の魅力
酒井くにお・とおるの魅力は、その独特の口調と、長身細身で病弱キャラのとおる、そして2人のボケ、ツッコミが絶妙であることです9。特に、くにおさんが「とおるちゃんっ」と迫る形は定番ギャグとなり、多くの視聴者を楽しませてきました9。また、彼らの漫才は師匠から授かったものではなく、全て独学であるという点も彼らの魅力の一つです2。このような特徴から、酒井くにお・とおるは他の芸人とは一線を画した存在と言えるでしょう。