足立正生監督の半生があまりにも衝撃的すぎる!

安倍元首相の銃撃事件の容疑者、山上徹也容疑者の半生を描いた映画「REVOLUTION+1」の本編が年末以降に公開されるらしい。

この、映画の監督を務めたのが、足立正生監督である。

冒頭の事件を「映画化しよう」と考えた監督はどのような人生を歩み、このような発想に至ったのか気になったので調べてみました。

足立監督は革命家

足立正生監督とのことを革命家と呼ぶ人もいる。

その革命家の人生を紹介する。

 

1961年の監督映画『椀』が学生映画祭大賞を受賞した後、1966年、『堕胎』で商業映画監督デビューを果たしたそう。

大学中退後には若松プロダクションに加わり、ピンク映画の脚本を多く手掛けたという。

 

足立監督の衝撃的な半生はここからである。

 

1971年のカンヌ国際映画祭からの帰国途中、若松孝二とともにパレスチナへ渡った。パレスチナ解放人民戦線(※1)のゲリラ隊に加わり共闘しつつ、ゲリラ隊を題材とする『赤軍 PFLP・世界戦争宣言』を撮影・製作したらしい。

自らパレスチナ解放人民戦線に加わり、『赤軍 PFLP・世界戦争宣言』を撮影するとは…

映画に【リアルさ】を求めての行動だったのでしょうか。

いずれにしても、自らの意志でパレスチナ解放人民戦線に加わるという命知らずな行動は映画への強い信念を覚えます。

 

さらに、足立監督の衝撃的な出来事はこの後の1974年にもあります。

1974年には重信房子が率いる日本赤軍(※2)に合流し、国際手配されたと言うのですから驚きです。

1997年にレバノンで逮捕され、ルミエ刑務所で3年間の禁固刑を受けた後、日本へ強制送還され帰国。帰国後の2007年に、日本赤軍の松本公三をモデルとする『幽閉者 テロリスト』を監督したという。

 

このような人生を歩んできた足立監督だからこそ、安倍晋三元首相銃撃事件の実刑犯である、山上容疑者の行動や心情について深く知りたくなったのではないでしょうか

 

このような革命家と呼ばれる人たちが行動を起こし、映画という手段で私たちに強いメッセージを送ってくれる。

自分とは違う世界を知る人のメッセージを受け取るも受け取らないも個人の自由であり、山上容疑者が題材の映画の上映を中止した映画館が『表現の自由に反する!』と炎上しているが、その映画館は上映中止という自己表現をしたにすぎず、これを批判することもまた、表現の自由に反するのではないかと考える。

 


※1 1967年に設立されたパレスチナの政党・武装組織でパレスチナ解放を目標とする

※2 1971年5月30日から2001年まで存在した日本の新左翼(極左)系の国際武装組織、ゲリラ組織、テロ組織