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近鉄戦士の生き残りは?現役最後の選手と歴史も紹介!

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そもそも近鉄戦士とは、かつて存在していた日本プロ野球のパ・リーグに加盟していた球団:大阪近鉄バファローズに所属していた選手のことをいいます。

今回は、そんな近鉄戦士の生き残りの選手や、大阪近鉄バファローズの歴史についてご紹介します♪

近鉄戦士の生き残りは?

2021年11月21日現時点での近鉄の生き残りはNPBの坂口智隆選手と独立リーグの近藤一樹選手のお二人のみとなっています。

坂口智隆

神戸国際大学付属高校卒業後、2002年のドラフト会議にて大阪近鉄バファローズから1位指名を受け入団しました。

プロ入り後、幸先よく1年目で一軍出場し、初安打を記録しています。

2005年からはオリックスバファローズ所属となり、その時の打率は.285と好成績を収めています。

2007年には打率.317を記録しました。

守備でも、外野手としてリーグトップの成績を収め、ゴールデンクラブ賞を2年連続で受賞するなど、大活躍されています。

ゴールデンクラブ賞はシーズンを通して、最も守備力の高かった選手に贈られる賞です。

これまで、ゴンザレス・前田健太・ダルビッシュ有・松阪大輔選手などが受賞されていますね。

2011年にはパ・リーグの最多安打を受賞されています。
それ以降は若干不振傾向となり、最終的に球団からは大幅な減俸を言い渡されました。
そのあと、ヤクルトが坂口選手の獲得で合意し、入団することになりました。
ヤクルトでもやはり、NPBの通算打率ランキングに載るなど、攻撃の面で大いに活躍されました♪
坂口選手の強みは俊足ですね。
一塁到達3.71秒とかなりの韋駄天ですが、盗塁成功率はやや低いですね。

近藤一樹

高校卒業後、ドラフト会議にて7巡目指名を受け、大阪近鉄バファローズに入団しました。

投手として起用され、2003年には一軍初登板を果たしています。

2004年には、コントロールが定まらず、制球難があることも顕著に見られるようになってきました。

2009年には、ファーストステージ第1戦にて、ダルビッシュ有選手と投げあい、敗北という結果に終わっています。

その後、何度も手術するなど、ケガで不調が続き、2014年に支配下選手登録を解除されています。

2年後に交換トレードにて、ヤクルトに移籍されました。

しばらく1軍で活躍してきましたが、2020年に戦力外通告を受けてしまいます。

トライアウトに参加しますが、NPB球団からのオファーは無く、結局香川オリーブガイナーズに入団することとなりました。

2021年現在も、選手兼投手コーチとして、自身も選手として活躍しながら、若手の育成に力を入れています。

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大阪近鉄バファローズの歴史

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大阪近鉄バファローズの歴史は古く、名称も幾度と無く変更されており、”近鉄”の2文字のみが受け継がれてきています。

原型は1949年に発足された近鉄パールスとなります。

当初は成績が低迷し、地下鉄球団ともとぼされました。

その10年後に近鉄バファローに改名しています。

この時代もあまり球団の成績は振るわなかったようです。

3年後、近鉄バファローズに改名されています。

1996年に大阪ドームに移転し、ここから”大阪”近鉄バファローズと呼ばれるようになっていきました。

2004年には、大阪近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブが合併し、事実上ここで近鉄球団は消滅しました。

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まとめ

今回は近鉄戦士最後の生き残りの選手である坂口智隆選手と近藤一樹選手について取り上げてきました。

また、最近まで現役として活躍していた近鉄戦士に、元ジャイアンツの岩隈久志選手がいますね♪

岩隈さんは2021年現在はテレビ東京の野球解説者を務められているようです。

NBPで活躍できなくなってもなお野球に携わり、野球愛の強い選手達で、なんだかいいですね♪